<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom"><title>村野藤吾 公式サイト | MURANOdesign ムラノデザイン</title><link href="https://www.muranodesign.jp"></link><subtitle>建築家・村野藤吾の公式サイトは、現在リニューアル中です。</subtitle><id>https://www.muranodesign.jp</id><author><name>MURANOdesign</name></author><updated>2026-08-11T07:23:06+00:00</updated><entry><title><![CDATA[村野藤吾 語沙録 「経済」]]></title><link rel="alternate" href="https://www.muranodesign.jp/posts/59110294/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/08971a0a20f9df12d2b6eb85da2cca91_eb0f088567b849176cb98417b7949d57.jpg"></link><id>https://www.muranodesign.jp/posts/59110294</id><summary><![CDATA[建物は資本的に言えば、コマーシャルライフとストラクチャーライフのコンビネーションです。これが上手くいかないと建物は失敗する。表面にはすぐ効果を表そうというのは、すぐ消える美しさではないでしょうか。商業建築にはそれも必要でしょう。３０年で償却するのか、記念建造物のように永久にそれを残そうというものなのか、それで違ってくる。ものを生産する過程が消費の過程に移ってゆくでしょう。生産というのは直線ですからね。曲線もあるけど機械的な曲線だ。だから生産的になるわけだ。そうしてできたものは、その通りに消費しないと金がかかってしまう。大部分はそれでいいにしても、それ以上になにがあるか、やはり学校で教えないといけないのではないかな。あるいは自分で気付くかだ。 ]]></summary><author><name>MURANOdesign</name></author><published>2026-08-11T07:23:06+00:00</published><updated>2026-08-11T07:53:17+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p class="">建物は資本的に言えば、コマーシャルライフとストラクチャーライフのコンビネーションです。これが上手くいかないと建物は失敗する。</p><p class=""><br></p><p class="">表面にはすぐ効果を表そうというのは、すぐ消える美しさではないでしょうか。商業建築にはそれも必要でしょう。３０年で償却するのか、記念建造物のように永久にそれを残そうというものなのか、それで違ってくる。</p><p class=""><br></p><p class="">ものを生産する過程が消費の過程に移ってゆくでしょう。生産というのは直線ですからね。曲線もあるけど機械的な曲線だ。だから生産的になるわけだ。そうしてできたものは、その通りに消費しないと金がかかってしまう。大部分はそれでいいにしても、それ以上になにがあるか、やはり学校で教えないといけないのではないかな。あるいは自分で気付くかだ。 </p><p><br></p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[村野藤吾 語沙録 「クライアント」]]></title><link rel="alternate" href="https://www.muranodesign.jp/posts/59110298/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/1720f4811fa02ec36e1fc47ee8219138_738108c761f00c56c177150425ab406c.jpg"></link><id>https://www.muranodesign.jp/posts/59110298</id><summary><![CDATA[たとえば家を建てるとき「お任せください」という領域ですね。その時は自分が愛情をこめてその建物を建てるわけでしょう。いよいよものができて、今度は向こうへ移しますね。私はいつも乳母のたとえをするんですよ。建築家というのは乳母みたいなものだ。クライアントから頼まれるけれども、それは本当の愛情がなければ本当の乳母になれない。そして育てていよいよ一人前になって親元へ返す。そうすると今度は親元が乳母と同じような気持ちで育ててくれなければ、乳母が考えた通りの建築も姿を出ないわけです。ですからいままでは手塩にかけて自分が自由にしたものを向こうにお渡しした後、「どうか見せてください」といって私は見に行くんです。玄関でマットが斜めになっていれば自分で直すというぐらい、見ていてはらはらしているわけです。組織やビジネスの要求を９９％まで含んでも、村野に頼んだ以上、最後１％は村野の思想や個性が残る。その１％を依頼者が認めるかどうか、それが建築家と依頼者の信頼関係の基礎になるのですね。そして場合によって、その１％が支配的なものになる。だけど本当は逆なんですよ。だって９９％は建築家が知っていなければ、あと１％を支配するだけのものにはならんでしょう。単なる１％だけが残っているんじゃだめなんだ。 ]]></summary><author><name>MURANOdesign</name></author><published>2026-08-11T07:22:54+00:00</published><updated>2026-08-11T07:37:19+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p class="">たとえば家を建てるとき「お任せください」という領域ですね。その時は自分が愛情をこめてその建物を建てるわけでしょう。いよいよものができて、今度は向こうへ移しますね。私はいつも乳母のたとえをするんですよ。建築家というのは乳母みたいなものだ。クライアントから頼まれるけれども、それは本当の愛情がなければ本当の乳母になれない。そして育てていよいよ一人前になって親元へ返す。そうすると今度は親元が乳母と同じような気持ちで育ててくれなければ、乳母が考えた通りの建築も姿を出ないわけです。ですからいままでは手塩にかけて自分が自由にしたものを向こうにお渡しした後、「どうか見せてください」といって私は見に行くんです。玄関でマットが斜めになっていれば自分で直すというぐらい、見ていてはらはらしているわけです。</p><p class=""><br></p><p class="">組織やビジネスの要求を９９％まで含んでも、村野に頼んだ以上、最後１％は村野の思想や個性が残る。その１％を依頼者が認めるかどうか、それが建築家と依頼者の信頼関係の基礎になるのですね。そして場合によって、その１％が支配的なものになる。だけど本当は逆なんですよ。だって９９％は建築家が知っていなければ、あと１％を支配するだけのものにはならんでしょう。単なる１％だけが残っているんじゃだめなんだ。 </p><p><br></p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[村野藤吾 語沙録 「人生観」]]></title><link rel="alternate" href="https://www.muranodesign.jp/posts/59110562/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/f87de11c0ffd6ac55aad034600d5d5b2_5ac97a7af0ee791e7ba8820f58c59ced.jpg"></link><id>https://www.muranodesign.jp/posts/59110562</id><summary><![CDATA[社会というものは思想も文筆も含めて、どんどん消費して行くでしょう。全てはその時代とともに消費されてしまう。消費されないのは人間だけですね。これは変化しない。そうするとやはり作家は自分の心を刻み、それからやはり悲しみと喜びを経験しながら、心の深み、あるいは広さといいますか、そういうようなものができてきて自然に自分に感じるものができてくるのではないかと私は思っています。つまりね、こだわらないで、絶えずサムシング・ニューでやって行く。社会的条件は非常に変わって行くでしょう。それに対応してやって行くには、ひとつのことだけをいったり、理屈だけいったってダメですよ。絶えずサムシング・ニュー、これをやらないと。人間と社会と建物の関係と言うようなものをどう考えるか、どういう手法を使うかということに建築家の責任、あるいは人生観といいますか、建築をみる見方、考え方というものが表れるのじゃないかと思っているのです。だから、現代建築がどうのこうのというようなことは後回しにして、ただ広い意味での人間と建築との関係をどう考えたらいいか、それから現実的問題として、投資されたものに対してどのような解決策をとるか、ということを考える。それにどういう材料を選ぶか、したがって手法というものがでてくる、こういうふうに考えます。社会的平均の問題は、これはカタログだけでやっていてもできるでしょう。しかしそれ以上のものが問題になってくると思います。本当の人間の問題、これは依頼者からの条件では分からないものです。条件以上の問題だと思います。これこそ作家が考えるべき問題ですね。もちろんそれ以前に、いわゆる社会的平均のものはマスターしなければなりませんが、それより以上のものは作家の信念に持つより仕方がないものです。どんな小さな住宅でも、それは言い得ることだと思います。我々は消費財としてだけで建築をつくっているのではないですからね。大きい気の張るような建物のスケッチは、たいてい病気中にできるんですよ。枕元にメモと鉛筆を置くわけですね。家内が取り上げるんですけど、かならず置かして、それが平生読まない本をそこに置いて…。実に気の張るようなときになると、かならず病気しますね。不思議ですね。若い人には若い社会、年寄りには年寄りの社会というものがありましょう。しかしいつでも大切な問題の探求と追求が必要ですね。それがやがて作品の深みとなってきますから、幾度かの喜びと悲しみとを通過すると、考え方の中心というものが次第に移ってくる。]]></summary><author><name>MURANOdesign</name></author><published>2026-08-11T07:20:41+00:00</published><updated>2026-08-11T07:20:42+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>社会というものは思想も文筆も含めて、どんどん消費して行くでしょう。全てはその時代とともに消費されてしまう。消費されないのは人間だけですね。これは変化しない。そうするとやはり作家は自分の心を刻み、それからやはり悲しみと喜びを経験しながら、心の深み、あるいは広さといいますか、そういうようなものができてきて自然に自分に感じるものができてくるのではないかと私は思っています。</p><p><br></p><p>つまりね、こだわらないで、絶えずサムシング・ニューでやって行く。社会的条件は非常に変わって行くでしょう。それに対応してやって行くには、ひとつのことだけをいったり、理屈だけいったってダメですよ。絶えずサムシング・ニュー、これをやらないと。</p><p><br></p><p>人間と社会と建物の関係と言うようなものをどう考えるか、どういう手法を使うかということに建築家の責任、あるいは人生観といいますか、建築をみる見方、考え方というものが表れるのじゃないかと思っているのです。だから、現代建築がどうのこうのというようなことは後回しにして、ただ広い意味での人間と建築との関係をどう考えたらいいか、それから現実的問題として、投資されたものに対してどのような解決策をとるか、ということを考える。それにどういう材料を選ぶか、したがって手法というものがでてくる、こういうふうに考えます。</p><p><br></p><p>社会的平均の問題は、これはカタログだけでやっていてもできるでしょう。しかしそれ以上のものが問題になってくると思います。本当の人間の問題、これは依頼者からの条件では分からないものです。条件以上の問題だと思います。これこそ作家が考えるべき問題ですね。もちろんそれ以前に、いわゆる社会的平均のものはマスターしなければなりませんが、それより以上のものは作家の信念に持つより仕方がないものです。どんな小さな住宅でも、それは言い得ることだと思います。我々は消費財としてだけで建築をつくっているのではないですからね。</p><p><br></p><p>大きい気の張るような建物のスケッチは、たいてい病気中にできるんですよ。枕元にメモと鉛筆を置くわけですね。家内が取り上げるんですけど、かならず置かして、それが平生読まない本をそこに置いて…。実に気の張るようなときになると、かならず病気しますね。不思議ですね。</p><p><br></p><p>若い人には若い社会、年寄りには年寄りの社会というものがありましょう。しかしいつでも大切な問題の探求と追求が必要ですね。それがやがて作品の深みとなってきますから、幾度かの喜びと悲しみとを通過すると、考え方の中心というものが次第に移ってくる。</p><p><br></p><p><br></p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[村野藤吾の家具]]></title><link rel="alternate" href="https://www.muranodesign.jp/posts/59117582/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/d2ac0627098eb3e41df434a1d12d51cc_444aeee61768ae1b90b59524601231d1.jpg"></link><id>https://www.muranodesign.jp/posts/59117582</id><summary><![CDATA[建築家 村野藤吾は建築を通じて様々なシーンで日本の伝統文化や技法を時代に応じた試みによって再現し、数々の豊かな空間を演出してきました。その空間を構成する要素の一つに家具や照明などがあります。MURANO designでは、それらを少しずつでも今の時代に合うような形で復刻させ、たくさんの人たちに実際に触れてもらい、村野藤吾の”温かみのある”作品のひとつとして感じてもらいたいと考えています。この取組が日本の文化を豊かにする一役を担うものと信じています。]]></summary><author><name>MURANOdesign</name></author><published>2026-08-11T06:28:22+00:00</published><updated>2026-08-11T06:28:23+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p class="">建築家 村野藤吾は建築を通じて様々なシーンで日本の伝統文化や技法を時代に応じた試みによって再現し、数々の豊かな空間を演出してきました。</p><p class=""><br></p><p class="">その空間を構成する要素の一つに家具や照明などがあります。</p><p class=""><br></p><p class="">MURANO designでは、それらを少しずつでも今の時代に合うような形で復刻させ、たくさんの人たちに実際に触れてもらい、</p><p class=""><br></p><p class="">村野藤吾の”温かみのある”作品のひとつとして感じてもらいたいと考えています。この取組が日本の文化を豊かにする一役を担うものと信じています。</p><p class=""><br></p>
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		</div>
		

		<div>
			<p class=""><br></p><p class="">MURANO designでは、村野建築のエッセンスを継承した復刻プロダクトの商品化を進めています。</p><p class="">復刻に力を貸して下さる企業様がございましたら、ぜひ<u><a href="mailto:hi.muranodesign@gmail.com" class="u-lnk-clr"><b>メッセージ</b></a></u>をいただけましたら幸いです。</p><p><br></p>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<p class="">現在復刻にご協力・販売いただいているのは以下の企業様です。（五十音順）</p><p class="">（準備中） </p><p><br></p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[建築家・村野藤吾]]></title><link rel="alternate" href="https://www.muranodesign.jp/posts/59109682/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/1abbe572933f3e813e2610dd2e2884bc_5c64e9fc56777931747a6b7d3fac798a.jpg"></link><id>https://www.muranodesign.jp/posts/59109682</id><summary><![CDATA[村野藤吾（むらのとうご、TOGO MURANO：１８９１～１９８４）建築家１９２９年独立し、村野建築事務所を開設。初期の作品・森五商店ビル（１９３１年）は、当時訪日していたブルーノタウトからも高い評価を得た。シャープなモダニズム建築（旧そごう百店など）、落ち着いた和風建築（都ホテル佳水園、なだ万山茶花荘など）、祈りの場としての神聖な建物（平和記念聖堂、宝塚カトリック教会など）など、３００を超えるその作品は多種多様な表情をみせながらも、豊かな表現力で「ぬくもりが感じられる建築」を創作し続けたことは共通している。大阪に拠点を置き、各地の現場に常に意欲的に脚を運んだ。９０歳を超えてなおも、現役で活動し、１９８４年１１月２６日に９３歳で没する当日まで鉛筆を離さず仕事を続けていた。１９５３年に手がけた広島の平和記念聖堂は２００６年に戦後建築として初めて重要文化財に指定されている。]]></summary><author><name>MURANOdesign</name></author><published>2026-08-11T06:19:49+00:00</published><updated>2026-08-11T07:49:42+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p class="">村野藤吾（むらのとうご、TOGO MURANO：１８９１～１９８４）建築家</p><p class=""><br></p><p class="">１９２９年独立し、村野建築事務所を開設。初期の作品・森五商店ビル（１９３１年）は、当時訪日していたブルーノタウトからも高い評価を得た。シャープなモダニズム建築（旧そごう百店など）、落ち着いた和風建築（都ホテル佳水園、なだ万山茶花荘など）、祈りの場としての神聖な建物（平和記念聖堂、宝塚カトリック教会など）など、３００を超えるその作品は多種多様な表情をみせながらも、豊かな表現力で「ぬくもりが感じられる建築」を創作し続けたことは共通している。</p><p class=""><br></p><p class="">大阪に拠点を置き、各地の現場に常に意欲的に脚を運んだ。９０歳を超えてなおも、現役で活動し、１９８４年１１月２６日に９３歳で没する当日まで鉛筆を離さず仕事を続けていた。１９５３年に手がけた広島の平和記念聖堂は２００６年に戦後建築として初めて重要文化財に指定されている。</p><p><br></p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[村野藤吾 略歴]]></title><link rel="alternate" href="https://www.muranodesign.jp/posts/59110206/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/f60393f360ea2b45d8d72a40ad8b0d1e_5620fdc54eb786e36e57abf4f0139f15.jpg"></link><id>https://www.muranodesign.jp/posts/59110206</id><summary><![CDATA[１８９１年　　５月１５日佐賀県唐津に生まれる１９１８年　　早稲田大学理工学部建築学科卒業１９１８年　　大阪、渡辺節建築事務所に入所１９２９年　　渡辺節建築事務所退所１９１８年　　村野建築事務所開設１９４９年　　村野・森建築事務所と改称１９５５年　　日本芸術院会員に挙げられる１９５９年　　日本建築家協会関西支部長に就任１９６２年　　日本建築家協会会長に就任１９６３年　　イギリス王立建築学会名誉会員に挙げられる１９１８年　　建設省より中央建築士審議会会員に挙げられる１９７０年　　アメリカ建築家協会名誉会員に挙げられる１９７３年　　早稲田大学より名誉博士称号授与される１９８４年　　１１月２６日没　享年93歳]]></summary><author><name>MURANOdesign</name></author><published>2026-08-11T06:18:53+00:00</published><updated>2026-08-11T06:18:54+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p><br></p><p>１８９１年　　５月１５日佐賀県唐津に生まれる</p><p>１９１８年　　早稲田大学理工学部建築学科卒業</p><p>１９１８年　　大阪、渡辺節建築事務所に入所</p><p>１９２９年　　渡辺節建築事務所退所</p><p>１９１８年　　村野建築事務所開設</p><p>１９４９年　　村野・森建築事務所と改称</p><p>１９５５年　　日本芸術院会員に挙げられる</p><p>１９５９年　　日本建築家協会関西支部長に就任</p><p>１９６２年　　日本建築家協会会長に就任</p><p>１９６３年　　イギリス王立建築学会名誉会員に挙げられる</p><p>１９１８年　　建設省より中央建築士審議会会員に挙げられる</p><p>１９７０年　　アメリカ建築家協会名誉会員に挙げられる</p><p>１９７３年　　早稲田大学より名誉博士称号授与される</p><p>１９８４年　　１１月２６日没　享年93歳</p><p><br></p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[村野藤吾 受賞歴]]></title><link rel="alternate" href="https://www.muranodesign.jp/posts/59110208/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/ec28355a9dcdd1d11d8d9699e68af3cf_d39bd58547a7abdd0322545e4be96cfc.jpg"></link><id>https://www.muranodesign.jp/posts/59110208</id><summary><![CDATA[１９３５年 ドイツ政府より赤十字名誉賞受賞１９５３年 日本芸術院賞、大阪府芸術賞受賞１９５４年 日本建築学会賞受賞（名古屋丸栄百貨店）１９５６年 日本建築学会賞受賞（世界平和記念聖堂）１９５８年 建築行政に関し大阪府知事表彰を受く建設大臣表彰を受く藍綬褒章受章１９６０年 建築業協会賞受賞（八幡市民会館）１９６２年 建築業協会賞受賞（輸出繊維会館）１９６３年 建築年鑑賞受賞（早稲田大学文学部校舎）１９６４年 建築業協会賞受賞（尼崎市庁舎）１９６５年 日本建築学会賞受賞（日本生命日比谷ビル）１９６７年 文化勲章受章１９６９年 建築業協会賞受賞（大阪ビルヂング紀尾井町ビル）建築業協会賞受賞（千代田生命本社ビル）１９７０年 バチカン政庁より大聖グレゴリウス騎士章受章１９７２年 日本建築学会建築大賞受賞建築業協会賞受賞（箱根樹木園休息所）１９７４年 総理大臣、建設大臣より感謝状（迎賓館改装）１９７５年 建築業協会賞受賞（日本興業銀行本店）１９７６年 皇室より御紋章入り銀杯壱組下賜（常陸宮邸）建築業協会賞受賞（西山記念館）１９７７年 毎日芸術賞受賞（小山敬三美術館）１９８０年 明治村賞受賞（迎賓館改装）建築業協会賞受賞（箱根プリンスホテル）１９８４年 建築業協会賞受賞（新高輪プリンスホテル）１９８５年 建築業協会賞受賞（宇部興産ビル）]]></summary><author><name>MURANOdesign</name></author><published>2026-08-11T06:17:49+00:00</published><updated>2026-08-11T06:17:51+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p class=""><br></p><p class="">１９３５年 ドイツ政府より赤十字名誉賞受賞</p><p class="">１９５３年 日本芸術院賞、大阪府芸術賞受賞</p><p class="">１９５４年 日本建築学会賞受賞（名古屋丸栄百貨店）</p><p class="">１９５６年 日本建築学会賞受賞（世界平和記念聖堂）</p><p class="">１９５８年 建築行政に関し大阪府知事表彰を受く</p><p class="">建設大臣表彰を受く</p><p class="">藍綬褒章受章</p><p>１９６０年 建築業協会賞受賞（八幡市民会館）</p><p>１９６２年 建築業協会賞受賞（輸出繊維会館）</p><p>１９６３年 建築年鑑賞受賞（早稲田大学文学部校舎）</p><p>１９６４年 建築業協会賞受賞（尼崎市庁舎）</p><p>１９６５年 日本建築学会賞受賞（日本生命日比谷ビル）</p><p>１９６７年 文化勲章受章</p><p>１９６９年 建築業協会賞受賞（大阪ビルヂング紀尾井町ビル）</p><p>建築業協会賞受賞（千代田生命本社ビル）</p><p>１９７０年 バチカン政庁より大聖グレゴリウス騎士章受章</p><p>１９７２年 日本建築学会建築大賞受賞</p><p>建築業協会賞受賞（箱根樹木園休息所）</p><p>１９７４年 総理大臣、建設大臣より感謝状（迎賓館改装）</p><p>１９７５年 建築業協会賞受賞（日本興業銀行本店）</p><p>１９７６年 皇室より御紋章入り銀杯壱組下賜（常陸宮邸）</p><p>建築業協会賞受賞（西山記念館）</p><p>１９７７年 毎日芸術賞受賞（小山敬三美術館）</p><p>１９８０年 明治村賞受賞（迎賓館改装）</p><p>建築業協会賞受賞（箱根プリンスホテル）</p><p>１９８４年 建築業協会賞受賞（新高輪プリンスホテル）</p><p>１９８５年 建築業協会賞受賞（宇部興産ビル）</p><p><br></p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[村野藤吾 作品年譜]]></title><link rel="alternate" href="https://www.muranodesign.jp/posts/59110213/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/f08615003420c4b1171637853794ff2f_8afd5e0a9fb810ad7b253c0ac9b567ee.jpg"></link><id>https://www.muranodesign.jp/posts/59110213</id><summary><![CDATA[１９２８年 南大阪教会１８３１年 神戸大丸舎監の家森五商店東京支店（現近三ビルヂング）大阪パンション１９３２年 加納合同銀行本店（現北國銀行武蔵が辻支店）紙卸商中島商店１９３５年 ドイツ文化研究所そごう百貨店（大阪）１９３６年 谷口病院大阪電気軌道ビル板谷生命ビル都ホテル１９３７年 大丸百貨店神戸支店宇部市民館（現宇部市渡辺翁記念会館：重要文化財）高島屋飯田神戸支店比叡山ホテル１９３８年 大阪商船アルゼンチナ丸大阪商船ブラジル丸日本優先優秀船などの公室大庄村役場（現尼崎大庄公民館：登録有形文化財）１９３９年 湯浅伸銅工場中山悦治氏邸１９４０年 中山央氏邸橿原神宮駅舎（現橿原神宮前駅）１９４１年 中橋武一氏邸中林仁一氏邸宇部油化工業工場諸建物石原産業本社日本製鉄八幡製鉄所内諸工場川崎重工業工場１９４３年 海軍将校倶楽部１９４９年 京都公楽会館１９５０年 名古屋丸栄ホテル、付属劇場近畿映画アポロ劇場京都高島屋１９５１年 志摩観光ホテル関西大学宇部興産中央研究所やまとやしき百貨店１９５２年 東京銀行大阪船場支店高島屋東京支店岡谷銅機大阪支店１９５３年 世界平和記念聖堂（重要文化財）宇部興産本社事務所フジカワ画廊南都銀行本店増築千日前グランド劇場１９５４年 名古屋相互銀行改装近映会館近鉄会館１９５５年 阿倍野ビルドウトン関西大学第一学舎１９５６年 神戸新聞会館プランタン（心斎橋）中川貢氏邸１９５７年 六甲学院体育館、講堂吉本梅田劇場近鉄阿倍野百貨店増築読売会館（そごう百貨店）レストラン・アラスカ（内装工事）池袋ステーションビル富田屋村野私邸増築１９５８年 大信紡績新大阪ビル米子市公会堂八幡市中央公民館大阪新歌舞伎座旧歌舞伎座増改装風月堂妙心寺花園会館１９５９年 比叡山回転展望閣日本シェーリング横浜市庁舎小倉市民館泉州銀行本店高木産業ビル宝塚ゴルフクラブ指月亭１９６０年 都ホテル和風別館　佳水園（現ウエスティン都ホテル京都）吉本ビル輸出繊維会館出光興産谷町給油所毎日鋼業ビル早稲田大学文学部１９６１年 今橋なだ万１９６２年 尼崎市庁舎森田ビル新梅ヶ枝町ビル出光興産九州支店出光興産北海道支店出光興産高松給油所１９６３年 日本生命ビル（日生劇場）出光興産千葉給油所大阪駅前換気塔出光興産東北支店横浜市立大学高知県知事公邸名古屋都ホテル熊本市水道局庁舎名神高速道路付属建築物・施設１９６４年 千里ニュータウン南地区センタービル富田町ビル住友実業ビル甲南女子大学大成閣芦屋のS邸関西大学専門図書館「円神館」１９６５年 プランタン（戎橋）三井銀行阿倍野橋支店改装美原町庁舎愛知県森林公園センター佐伯邸１９６６年 千代田生命本社ビル（現目黒区総合庁舎）東京銀行名古屋赤塚支店西宮商工会館出光興産京都支店泉州銀行府中支店清原株式会社東京支店美原町立平尾小学校浪花組東京支店宝塚カトリック教会村野・森建築事務所１９６７年　 毎日興業ビル東京八重洲・大阪ビル桜井寺箕面ビジターセンター高橋ビル東館１９６８年 高橋ビル西館甲南女子学院中・高等学校大阪府立青年の家高橋ビル東３号館１９６９年 近鉄上本町ターミナルビル近鉄新本社ビル日本ルーテル神学大学西宮トラピスト修道院１９７０年 阿倍野センタービル高橋ビル本社東京銀行大阪支店奈良ホテル新館近鉄志摩線賢島駅舍高橋ビル南館黒田電気株式会社帝国ホテル茶室　東光庵兵庫県立近代美術館（現原田の森ギャラリー）１９７１年 八幡信用金庫本店レストラン・ヤマサ箱根プリンスホテル樹木園休憩所１９７２年 京都堀川会館堺泉北海員会館近映レジャーピルアポロ高橋アベノボーリング場高輪プリンスホテル貴賓館改装（旧竹田宮邸）出光興産宗像給油所近鉄上六ターミナルビル（２期工事）１９７３年 日本生命岡山駅前ビル大阪府立中河内府民センター大阪府立枚方セツルメント平城ニュータウン地区センター基本計画野村不動産港南台モデルハウス１９７４年 泉北ニュータウン栂地区センタービル日本興業銀行本店迎賓館改修工事（旧赤坂離宮）タケダグリーンビル１９７５年 川崎製鉄西山記念堂新都ホテル高島屋別館茅場町ビル小山敬三美術館高橋ビル南１０号館美原町総合会館甲南女子大学　猪崎記念体育館１９７６年 高橋ビル北１０号館箕面自由学院記念体育館常陸宮邸日本住宅公団壬生市街地住宅千里ニュータウン南地区文化センター大阪ビルヂング紀尾井町ビル浪花組名古屋支店なだ万山茶花荘甲南女子大学阿部記念図書館１９７７年 日本住宅公団平城地区事務所大裕鋼業工場１９７８年 箱根プリンスホテル京橋３丁目ビルディング１９７９年 佐賀県教師区職員センター松寿荘都ホテル東京内装設計南霊園周辺地区市街地再開発等調査宇部市文化会館原村立歴史民俗資料館（八ヶ岳美術館）１９８０年 東銀総合ビル宝塚市庁舎紀尾井町南部ビル１９８１年 黒田電機名古屋市店南大阪教会１９８２年 新高輪プリンスホテル内幸町大阪ビル１９８３年 宇部興産ビル谷村美術館１９８４年 村野建築研究所心斎橋事務所１９８５年 都ホテル大阪１９８６年 京都宝ケ池プリンスホテル１９８８年 伊豆三養荘天寿園　瞑想館１９９０年 横浜プリンスホテル※１９８５年からの作品は、村野藤吾の死後に完成した。]]></summary><author><name>MURANOdesign</name></author><published>2026-08-11T06:02:51+00:00</published><updated>2026-08-11T06:09:08+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/f08615003420c4b1171637853794ff2f_8afd5e0a9fb810ad7b253c0ac9b567ee.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

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			<p><br></p><p>１９２８年 南大阪教会</p><p>１８３１年 神戸大丸舎監の家</p><p>森五商店東京支店（現近三ビルヂング）</p><p>大阪パンション</p><p>１９３２年 加納合同銀行本店（現北國銀行武蔵が辻支店）</p><p>紙卸商中島商店</p><p>１９３５年 ドイツ文化研究所</p><p>そごう百貨店（大阪）</p><p>１９３６年 谷口病院</p><p>大阪電気軌道ビル</p><p>板谷生命ビル</p><p>都ホテル</p><p>１９３７年 大丸百貨店神戸支店</p><p>宇部市民館（現宇部市渡辺翁記念会館：重要文化財）</p><p>高島屋飯田神戸支店</p><p>比叡山ホテル</p><p>１９３８年 大阪商船アルゼンチナ丸</p><p>大阪商船ブラジル丸</p><p>日本優先優秀船などの公室</p><p>大庄村役場（現尼崎大庄公民館：登録有形文化財）</p><p>１９３９年 湯浅伸銅工場</p><p>中山悦治氏邸</p><p>１９４０年 中山央氏邸</p><p>橿原神宮駅舎（現橿原神宮前駅）</p><p>１９４１年 中橋武一氏邸</p><p>中林仁一氏邸</p><p>宇部油化工業工場諸建物</p><p>石原産業本社</p><p>日本製鉄八幡製鉄所内諸工場</p><p>川崎重工業工場</p><p>１９４３年 海軍将校倶楽部</p><p>１９４９年 京都公楽会館</p><p>１９５０年 名古屋丸栄ホテル、付属劇場</p><p>近畿映画アポロ劇場</p><p>京都高島屋</p><p>１９５１年 志摩観光ホテル</p><p>関西大学</p><p>宇部興産中央研究所</p><p>やまとやしき百貨店</p><p>１９５２年 東京銀行大阪船場支店</p><p>高島屋東京支店</p><p>岡谷銅機大阪支店</p><p>１９５３年 世界平和記念聖堂（重要文化財）</p><p>宇部興産本社事務所</p><p>フジカワ画廊</p><p>南都銀行本店増築</p><p>千日前グランド劇場</p><p>１９５４年 名古屋相互銀行改装</p><p>近映会館</p><p>近鉄会館</p><p>１９５５年 阿倍野ビル</p><p>ドウトン</p><p>関西大学第一学舎</p><p>１９５６年 神戸新聞会館</p><p>プランタン（心斎橋）</p><p>中川貢氏邸</p><p>１９５７年 六甲学院体育館、講堂</p><p>吉本梅田劇場</p><p>近鉄阿倍野百貨店増築</p><p>読売会館（そごう百貨店）</p><p>レストラン・アラスカ（内装工事）</p><p>池袋ステーションビル</p><p>富田屋</p><p>村野私邸増築</p><p>１９５８年 大信紡績</p><p>新大阪ビル</p><p>米子市公会堂</p><p>八幡市中央公民館</p><p>大阪新歌舞伎座</p><p>旧歌舞伎座増改装</p><p>風月堂</p><p>妙心寺花園会館</p><p>１９５９年 比叡山回転展望閣</p><p>日本シェーリング</p><p>横浜市庁舎</p><p>小倉市民館</p><p>泉州銀行本店</p><p>高木産業ビル</p><p>宝塚ゴルフクラブ</p><p>指月亭</p><p>１９６０年 都ホテル和風別館　佳水園（現ウエスティン都ホテル京都）</p><p>吉本ビル</p><p>輸出繊維会館</p><p>出光興産谷町給油所</p><p>毎日鋼業ビル</p><p>早稲田大学文学部</p><p>１９６１年 今橋なだ万</p><p>１９６２年 尼崎市庁舎</p><p>森田ビル</p><p>新梅ヶ枝町ビル</p><p>出光興産九州支店</p><p>出光興産北海道支店</p><p>出光興産高松給油所</p><p>１９６３年 日本生命ビル（日生劇場）</p><p>出光興産千葉給油所</p><p>大阪駅前換気塔</p><p>出光興産東北支店</p><p>横浜市立大学</p><p>高知県知事公邸</p><p>名古屋都ホテル</p><p>熊本市水道局庁舎</p><p>名神高速道路付属建築物・施設</p><p>１９６４年 千里ニュータウン南地区センタービル</p><p>富田町ビル</p><p>住友実業ビル</p><p>甲南女子大学</p><p>大成閣</p><p>芦屋のS邸</p><p>関西大学専門図書館「円神館」</p><p>１９６５年 プランタン（戎橋）</p><p>三井銀行阿倍野橋支店改装</p><p>美原町庁舎</p><p>愛知県森林公園センター</p><p>佐伯邸</p><p>１９６６年 千代田生命本社ビル（現目黒区総合庁舎）</p><p>東京銀行名古屋赤塚支店</p><p>西宮商工会館</p><p>出光興産京都支店</p><p>泉州銀行府中支店</p><p>清原株式会社東京支店</p><p>美原町立平尾小学校</p><p>浪花組東京支店</p><p>宝塚カトリック教会</p><p>村野・森建築事務所</p><p>１９６７年　 毎日興業ビル</p><p>東京八重洲・大阪ビル</p><p>桜井寺</p><p>箕面ビジターセンター</p><p>高橋ビル東館</p><p>１９６８年 高橋ビル西館</p><p>甲南女子学院中・高等学校</p><p>大阪府立青年の家</p><p>高橋ビル東３号館</p><p>１９６９年 近鉄上本町ターミナルビル</p><p>近鉄新本社ビル</p><p>日本ルーテル神学大学</p><p>西宮トラピスト修道院</p><p>１９７０年 阿倍野センタービル</p><p>高橋ビル本社</p><p>東京銀行大阪支店</p><p>奈良ホテル新館</p><p>近鉄志摩線賢島駅舍</p><p>高橋ビル南館</p><p>黒田電気株式会社</p><p>帝国ホテル茶室　東光庵</p><p>兵庫県立近代美術館（現原田の森ギャラリー）</p><p>１９７１年 八幡信用金庫本店</p><p>レストラン・ヤマサ</p><p>箱根プリンスホテル樹木園休憩所</p><p>１９７２年 京都堀川会館</p><p>堺泉北海員会館</p><p>近映レジャーピルアポロ</p><p>高橋アベノボーリング場</p><p>高輪プリンスホテル貴賓館改装（旧竹田宮邸）</p><p>出光興産宗像給油所</p><p>近鉄上六ターミナルビル（２期工事）</p><p>１９７３年 日本生命岡山駅前ビル</p><p>大阪府立中河内府民センター</p><p>大阪府立枚方セツルメント</p><p>平城ニュータウン地区センター基本計画</p><p>野村不動産港南台モデルハウス</p><p>１９７４年 泉北ニュータウン栂地区センタービル</p><p>日本興業銀行本店</p><p>迎賓館改修工事（旧赤坂離宮）</p><p>タケダグリーンビル</p><p>１９７５年 川崎製鉄西山記念堂</p><p>新都ホテル</p><p>高島屋別館茅場町ビル</p><p>小山敬三美術館</p><p>高橋ビル南１０号館</p><p>美原町総合会館</p><p>甲南女子大学　猪崎記念体育館</p><p>１９７６年 高橋ビル北１０号館</p><p>箕面自由学院記念体育館</p><p>常陸宮邸</p><p>日本住宅公団壬生市街地住宅</p><p>千里ニュータウン南地区文化センター</p><p>大阪ビルヂング紀尾井町ビル</p><p>浪花組名古屋支店</p><p>なだ万山茶花荘</p><p>甲南女子大学阿部記念図書館</p><p>１９７７年 日本住宅公団平城地区事務所</p><p>大裕鋼業工場</p><p>１９７８年 箱根プリンスホテル</p><p>京橋３丁目ビルディング</p><p>１９７９年 佐賀県教師区職員センター</p><p>松寿荘</p><p>都ホテル東京内装設計</p><p>南霊園周辺地区市街地再開発等調査</p><p>宇部市文化会館</p><p>原村立歴史民俗資料館（八ヶ岳美術館）</p><p>１９８０年 東銀総合ビル</p><p>宝塚市庁舎</p><p>紀尾井町南部ビル</p><p>１９８１年 黒田電機名古屋市店</p><p>南大阪教会</p><p>１９８２年 新高輪プリンスホテル</p><p>内幸町大阪ビル</p><p>１９８３年 宇部興産ビル</p><p>谷村美術館</p><p>１９８４年 村野建築研究所心斎橋事務所</p><p>１９８５年 都ホテル大阪</p><p>１９８６年 京都宝ケ池プリンスホテル</p><p>１９８８年 伊豆三養荘</p><p>天寿園　瞑想館</p><p>１９９０年 横浜プリンスホテル</p><p>※１９８５年からの作品は、村野藤吾の死後に完成した。</p><p><br></p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[PRIVACY POLICY]]></title><link rel="alternate" href="https://www.muranodesign.jp/posts/59110773/"></link><id>https://www.muranodesign.jp/posts/59110773</id><summary><![CDATA[　有限会社MURANO design（以下、「当社」という。）は，ユーザーの個人情報について以下のとおりプライバシーポリシー（以下、「本ポリシー」という。）を定めます。本ポリシーは、当社がどのような個人情報を取得し、どのように利用・共有するか、ユーザーがどのようにご自身の個人情報を管理できるかをご説明するものです。【１．事業者情報】法人名：有限会社MURANO design代　表：代表　村野　永【２．個人情報の取得方法】当社はユーザーの問い合わせ等の際に氏名・生年月日・住所・電話番号・メールアドレスなど個人を特定できる情報を取得させていただきます。お問い合わせフォームやコメントの送信時には、氏名・電話番号・メールアドレスなどを取得させていただきます。【３．個人情報の利用目的】取得した閲覧や問い合わせの情報を分析し、ユーザー別に適した情報を提供するために利用します。また、取得した閲覧や問い合わせ等の情報を許可なしに第三者へ提供することはございません。【４．個人データを安全に管理するための措置】当社は個人情報を正確かつ最新の内容に保つよう努め、不正なアクセス・改ざん・漏えい・滅失及び毀損から保護するためにセキュリティサービス等を活用し保護するように努めます。【5．個人データの第三者提供について】当社は法令及びガイドラインに別段の定めがある場合を除き、同意を得ないで第三者に個人情報を提供することは致しません。【７．保有個人情報の開示、訂正および相談や苦情の連絡先】当社は本人から個人情報の開示を求められたときには本人に対しこれを開示します。開示を求める場合は当社へお問い合わせください。【8．cookieについて】cookieとは、WebサーバーからWebブラウザに送信されるデータのことです。Webサーバーがcookieを参照することでユーザーのパソコンを識別でき、効率的に当社Webサイトを利用することができます。当社Webサイトがcookieとして送るファイルは、個人を特定するような情報は含んでおりません。お使いのWebブラウザの設定により、cookieを無効にすることも可能です。【9．プライバシーポリシーの制定日及び改定日】制定：2025年9月1日【10．免責事項】当社Webサイトに掲載されている情報の正確性には万全を期していますが、利用者が当社Webサイトの情報を用いて行う一切の行為に関して、一切の責任を負わないものとします。当社は、利用者が当社Webサイトを利用したことにより生じた利用者の損害及び利用者が第三者に与えた損害に関して、一切の責任を負わないものとします。【11．Ｗｅｂサイト内コンテンツについて】当社Webサイト内の文章や画像、すべてのコンテンツを無断での使用や転用は禁止します。また当社Ｗｅｂサイト内で使用しているコンテンツに関しては、当社にて保管している資料をもとにスキャニング、加工、修正等を行ったうえで作成していますが、何かお気付きの点やお問い合わせ等があればご連絡をお願いします。【12．リンク】当社Webサイトへのリンクは、当社への了承を得なくても設置していただいて構いません。ただしWebサイトの内容等によってはリンクの設置をお断り、または削除依頼することがあります。]]></summary><author><name>MURANOdesign</name></author><published>2026-08-11T03:07:31+00:00</published><updated>2026-08-11T03:07:32+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p><br></p><p>　有限会社MURANO design（以下、「当社」という。）は，ユーザーの個人情報について以下のとおりプライバシーポリシー（以下、「本ポリシー」という。）を定めます。本ポリシーは、当社がどのような個人情報を取得し、どのように利用・共有するか、ユーザーがどのようにご自身の個人情報を管理できるかをご説明するものです。</p><p><br></p><p>【１．事業者情報】</p><p>法人名：有限会社MURANO design</p><p>代　表：代表　村野　永</p><p>【２．個人情報の取得方法】</p><p>当社はユーザーの問い合わせ等の際に氏名・生年月日・住所・電話番号・メールアドレスなど個人を特定できる情報を取得させていただきます。</p><p>お問い合わせフォームやコメントの送信時には、氏名・電話番号・メールアドレスなどを取得させていただきます。</p><p>【３．個人情報の利用目的】</p><p>取得した閲覧や問い合わせの情報を分析し、ユーザー別に適した情報を提供するために利用します。また、取得した閲覧や問い合わせ等の情報を許可なしに第三者へ提供することはございません。</p><p>【４．個人データを安全に管理するための措置】</p><p>当社は個人情報を正確かつ最新の内容に保つよう努め、不正なアクセス・改ざん・漏えい・滅失及び毀損から保護するためにセキュリティサービス等を活用し保護するように努めます。</p><p>【5．個人データの第三者提供について】</p><p>当社は法令及びガイドラインに別段の定めがある場合を除き、同意を得ないで第三者に個人情報を提供することは致しません。</p><p>【７．保有個人情報の開示、訂正および相談や苦情の連絡先】</p><p>当社は本人から個人情報の開示を求められたときには本人に対しこれを開示します。開示を求める場合は当社へお問い合わせください。</p><p>【8．cookieについて】</p><p>cookieとは、WebサーバーからWebブラウザに送信されるデータのことです。Webサーバーがcookieを参照することでユーザーのパソコンを識別でき、効率的に当社Webサイトを利用することができます。当社Webサイトがcookieとして送るファイルは、個人を特定するような情報は含んでおりません。お使いのWebブラウザの設定により、cookieを無効にすることも可能です。</p><p>【9．プライバシーポリシーの制定日及び改定日】</p><p>制定：2025年9月1日</p><p>【10．免責事項】</p><p>当社Webサイトに掲載されている情報の正確性には万全を期していますが、利用者が当社Webサイトの情報を用いて行う一切の行為に関して、一切の責任を負わないものとします。当社は、利用者が当社Webサイトを利用したことにより生じた利用者の損害及び利用者が第三者に与えた損害に関して、一切の責任を負わないものとします。</p><p>【11．Ｗｅｂサイト内コンテンツについて】</p><p>当社Webサイト内の文章や画像、すべてのコンテンツを無断での使用や転用は禁止します。</p><p>また当社Ｗｅｂサイト内で使用しているコンテンツに関しては、当社にて保管している資料をもとにスキャニング、加工、修正等を行ったうえで作成していますが、何かお気付きの点やお問い合わせ等があればご連絡をお願いします。</p><p>【12．リンク】</p><p>当社Webサイトへのリンクは、当社への了承を得なくても設置していただいて構いません。ただしWebサイトの内容等によってはリンクの設置をお断り、または削除依頼することがあります。</p><p><br></p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[村野藤吾 語沙録 「様式」]]></title><link rel="alternate" href="https://www.muranodesign.jp/posts/59110290/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/f36fef649e057c80232a8084dc3c6aab_786112b3ad0f13ffccd344d32da373c4.jpg"></link><id>https://www.muranodesign.jp/posts/59110290</id><summary><![CDATA[私は学生時代はなかなか反抗的で、ことに佐藤（功一）先生なんかに反抗して、様式的な問題が出てもその様式的な問題は少しもやらないで、同時日本へも伝わってきた新しい思潮のドイツのゼセッションに非常に共鳴し、そればかりやっていて先生からにらまれていたのですが、学校を出まして渡辺（節）先生のところへきて実際に世に出てくると様式というものの当時の社会における重要さをつくづく知らされましたね。様式はアメリカ風な実用的なものでした。様式風なものでないと世の中には通らないからそれをやれということで、はじめは嫌々ながらやっていましたけれども、やってゆくうちに興味が出てきたのです。様式のなかに隠されていた陰影だとか線だとかそれからプロポーションだとか、そういうものの美しさに興味を持ちはじめたのです。様式だけから出発した人はいまほとんど枯れてしまいましたね。やはり学生時代に反抗し、その後様式を学び、また現代にかえってきたということが、私には非常にプラスになっていると思います。私、様式というのはあまり興味がないんですよ。私はなんでも同じように思いますね。ただ、度々申しますが、なるほど私は渡辺（節）先生のところで様式建築を習いましたね。しかし、そこから得たものは、要するに自分を肥やしただけの話で、線とか影、テクニックとかいうものを身につけただけの話で、様式とか現実に見るかたちは、私は虚構だと思います。そして自分が身につけた影だとか線だとか、それからテクニックだとかが本当の私の現実である。これだけで、あとは私流に言えば様式はないと思いますね。様式というのはフィクションだと思います。そういうふうに私はとっているし、またそういうふうに受け止めております。 ]]></summary><author><name>MURANOdesign</name></author><published>2026-08-09T04:41:53+00:00</published><updated>2026-08-11T07:53:57+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/f36fef649e057c80232a8084dc3c6aab_786112b3ad0f13ffccd344d32da373c4.jpg?width=960" width="100%">
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			<p class="">私は学生時代はなかなか反抗的で、ことに佐藤（功一）先生なんかに反抗して、様式的な問題が出てもその様式的な問題は少しもやらないで、同時日本へも伝わってきた新しい思潮のドイツのゼセッションに非常に共鳴し、そればかりやっていて先生からにらまれていたのですが、学校を出まして渡辺（節）先生のところへきて実際に世に出てくると様式というものの当時の社会における重要さをつくづく知らされましたね。様式はアメリカ風な実用的なものでした。様式風なものでないと世の中には通らないからそれをやれということで、はじめは嫌々ながらやっていましたけれども、やってゆくうちに興味が出てきたのです。様式のなかに隠されていた陰影だとか線だとかそれからプロポーションだとか、そういうものの美しさに興味を持ちはじめたのです。様式だけから出発した人はいまほとんど枯れてしまいましたね。やはり学生時代に反抗し、その後様式を学び、また現代にかえってきたということが、私には非常にプラスになっていると思います。</p><p class=""><br></p><p class="">私、様式というのはあまり興味がないんですよ。私はなんでも同じように思いますね。ただ、度々申しますが、なるほど私は渡辺（節）先生のところで様式建築を習いましたね。しかし、そこから得たものは、要するに自分を肥やしただけの話で、線とか影、テクニックとかいうものを身につけただけの話で、様式とか現実に見るかたちは、私は虚構だと思います。そして自分が身につけた影だとか線だとか、それからテクニックだとかが本当の私の現実である。これだけで、あとは私流に言えば様式はないと思いますね。様式というのはフィクションだと思います。そういうふうに私はとっているし、またそういうふうに受け止めております。 </p><p><br></p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[村野藤吾 語沙録 「教育」]]></title><link rel="alternate" href="https://www.muranodesign.jp/posts/59110288/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/c43a4e2ac8ece7686d9a00661672a796_ff2e0207410ff4b09eed3ea4f15e2abf.jpg"></link><id>https://www.muranodesign.jp/posts/59110288</id><summary><![CDATA[やはり先生ですよ。大学といったって先生ですよ。やはり先生の人格というものが、学生に移ってゆく。これを抜きにして、知識の切り売りだけが大学の教育では困る。自ら指導に立つ、それだけの心構えのない人が学校の先生になったとする。そうすると頭だけ売るわけですよ。知性優先の教育の仕方をするんじゃないか。それは何故かというと、割り切れるから、学生にも分かりやすいわけです。そういう先生がもてるわけだよ、学生には。結局それではいい学生が出るわけないですよ。学生も大学を出てから、自ら泥をつかむという勇気がない。これではいい建築はできっこないですよ。頭のいい、学校の成績の良かった若い者が、自分でこうやって（スケッチなどしたがる）、あとは人にやらせてしまうんだから仕方がないと、（これが逆に出ると）どうなるか、私に見せないという傾向になって表れる（それで問題が後で起こる）。それは自分が泥をつかむという勇気がないからだと思う。（泥をつかむということ）それを今の学校は教えない。なぜなら先生が自ら（そういう方向に）指導に立たないから、頭だけ良くて、理屈は言えますよ。しかしそれでは良い学生は育ちません。私は最近、マッキンレーで亡くなった植村直己さんに非常に感銘を受けました。植村さんは探検で、必ず生きて帰ると言っていたんですね。苦労し、すすんで泥をつかむけど、しかし必ず生きて帰るという冒険の精神ですね。これは建築にも通じます。私の事務所でも、若い人は曲線の多いスケッチなど、これをものにしなさいと言うと、びっくりして敬遠する傾向にあります。それは何かというと、学校で自由に手を動かすという訓練はしないでしょう。知的訓練が主になっている。知的にものを追えば方向が分かり易いし、先生はそれで目的を達するわけですから、だから知的なものにだけ頼って、それから先に行く事は避けようとするのです。しかし最近、若い人も分かってきたらしく、そうした仕事をさせてくださいと言ってくるようになってね。すすんで泥をつかみ、しかも必ず生きて帰るというのは、いいものをつくるということにつながるのではないかな。]]></summary><author><name>MURANOdesign</name></author><published>2026-08-09T04:41:11+00:00</published><updated>2026-08-11T07:45:31+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/c43a4e2ac8ece7686d9a00661672a796_ff2e0207410ff4b09eed3ea4f15e2abf.jpg?width=960" width="100%">
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			<p class="">やはり先生ですよ。大学といったって先生ですよ。やはり先生の人格というものが、学生に移ってゆく。これを抜きにして、知識の切り売りだけが大学の教育では困る。自ら指導に立つ、それだけの心構えのない人が学校の先生になったとする。そうすると頭だけ売るわけですよ。知性優先の教育の仕方をするんじゃないか。それは何故かというと、割り切れるから、学生にも分かりやすいわけです。そういう先生がもてるわけだよ、学生には。結局それではいい学生が出るわけないですよ。</p><p class=""><br></p><p class="">学生も大学を出てから、自ら泥をつかむという勇気がない。これではいい建築はできっこないですよ。頭のいい、学校の成績の良かった若い者が、自分でこうやって（スケッチなどしたがる）、あとは人にやらせてしまうんだから仕方がないと、（これが逆に出ると）どうなるか、私に見せないという傾向になって表れる（それで問題が後で起こる）。それは自分が泥をつかむという勇気がないからだと思う。（泥をつかむということ）それを今の学校は教えない。なぜなら先生が自ら（そういう方向に）指導に立たないから、頭だけ良くて、理屈は言えますよ。しかしそれでは良い学生は育ちません。</p><p><br></p><p>私は最近、マッキンレーで亡くなった植村直己さんに非常に感銘を受けました。植村さんは探検で、必ず生きて帰ると言っていたんですね。苦労し、すすんで泥をつかむけど、しかし必ず生きて帰るという冒険の精神ですね。これは建築にも通じます。</p><p><br></p><p>私の事務所でも、若い人は曲線の多いスケッチなど、これをものにしなさいと言うと、びっくりして敬遠する傾向にあります。それは何かというと、学校で自由に手を動かすという訓練はしないでしょう。知的訓練が主になっている。知的にものを追えば方向が分かり易いし、先生はそれで目的を達するわけですから、だから知的なものにだけ頼って、それから先に行く事は避けようとするのです。しかし最近、若い人も分かってきたらしく、そうした仕事をさせてくださいと言ってくるようになってね。すすんで泥をつかみ、しかも必ず生きて帰るというのは、いいものをつくるということにつながるのではないかな。</p><p><br></p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[村野藤吾 語沙録 「手法」]]></title><link rel="alternate" href="https://www.muranodesign.jp/posts/59110284/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/6ce4a1f8335b18cb336e2aae98efcb85_225e860acc0e416a77ba5cb639e55176.jpg"></link><id>https://www.muranodesign.jp/posts/59110284</id><summary><![CDATA[私は角があるのが嫌いなんです。私はもうどれでも角を取ってるんです。それで丸くする癖がありますね。そうしないとどうも何か手触りが悪いような、それから心持ちがしっくりこないんです。それも日本的な手法ですね。柱でもみんな面を取る。面で大きさを加減するわけです。ウチでやる時は必ず面幅をいうんですよ。二分面とか一分面とか。大体分かりますからね。これはかどかどした感じがなくなって手触りがいいんです。長年人と交わって、喧嘩しないことが大切だと思うんですよ。建築で喧嘩しないということは、角を丸くして、強いものと強いものがぶつからないようにすることです。柱にしても床に付くところは、見えがかり縁を切る。そうすると平和な感じがすると思うんです。]]></summary><author><name>MURANOdesign</name></author><published>2026-08-09T04:40:18+00:00</published><updated>2026-08-11T07:42:44+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p class="">私は角があるのが嫌いなんです。私はもうどれでも角を取ってるんです。それで丸くする癖がありますね。そうしないとどうも何か手触りが悪いような、それから心持ちがしっくりこないんです。それも日本的な手法ですね。柱でもみんな面を取る。面で大きさを加減するわけです。ウチでやる時は必ず面幅をいうんですよ。二分面とか一分面とか。大体分かりますからね。これはかどかどした感じがなくなって手触りがいいんです。</p><p class=""><br></p><p class="">長年人と交わって、喧嘩しないことが大切だと思うんですよ。建築で喧嘩しないということは、角を丸くして、強いものと強いものがぶつからないようにすることです。柱にしても床に付くところは、見えがかり縁を切る。そうすると平和な感じがすると思うんです。</p><p><br></p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[村野藤吾 語沙録 「和風」]]></title><link rel="alternate" href="https://www.muranodesign.jp/posts/59110283/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/9905984295ad02da8ebec31bd9a1e899_4548e063db5c27abb9bc3f935b1806f5.jpg"></link><id>https://www.muranodesign.jp/posts/59110283</id><summary><![CDATA[物理的にも、心理的にも、明らかに人間に必要な自然的条件を、極限のところまで圧縮したような特殊な建築空間は、それなりの影響と物心両面におこさせるだろうし、またその影響力こそ、そのような限界空間を生んだ原因であったと思う。宗及や宗湛を相手に、珍品や平站の話をしている限りは、秀吉にとって二畳や一畳半は、さほど狭い空間ではないかもしれない。そこで、今度は、秀吉と宗易とが、この狭い空間のなかで対座したと仮想して、その結果はどうなるだろうかと思ってみた。そのとき、この圧縮された限界空間が、人間の条件に与えたものは何であろうかと想像してみた。佳水園にしても私はあまり和風を意識しないでやっているのです。あの格子にしてもスイにしても、日本的というよりもむしろ洋風だと私は思っています。あの場合は庇を薄く見せたかったため、　スイの感覚もずっと広くしているのです。昔からのものとは全く違うはずです。その場所、その環境、その機能に応じて表現を異にするだけであって、手法そのもの、ものの考え方はやはり同じではないのですか。私は日本建築について特別学んだことはない、学校で教わった程度である。全て見よう見まねで覚えたようなもので、関西に住みついて、本物の日本建築を見る機会に恵まれたこと、優れた茶方の宗匠や棟梁たちの仕事を見たことも幸いであったが、私にいくらか日本建築について、もし私流という言葉を許していただけるなら、自己流の道を模索する糸口のようなものを与えてくれたのは泉岡さんではなかったかと思う。次に泉岡語録の二、三を紹介しよう。一、玄関を大きくするな。門戸を張るな。一、外からは小さく低く、内に這入る程広く、高くすること。一、天井の高さは七尺五寸を限度と思え、それ以上は料理か、功成り名とげた人の表現になるので普通ではない。一、柱の太さは三寸角、それ以上になると面取りで加減したり、ごひら（長方形）する一、窓の高さは二尺四寸、風炉先屏風の高さが標準一、縁側の柱は一間まに建て、桁に無理させぬこと、これで充分日本風になるはずである。一、人の目につかぬところ、人に気付かれぬところ程仕事を大切にして金をかけること。一、腕の良さを見せようとするな、技を殺せ。まだあるが、ざっとこの程度である。伝統的で関西風な薄味のする考え方であるが、控えめなところがあり、何でも表そう、訴えようとするのとは味が違う。蓋し、日本建築の真髄にふれた言葉ではないかと思う。泉岡流の手法は真似られても、作の品格に至っては生活の良さと趣味の高い人だけが持っているもので如何とも致しがたい。 ]]></summary><author><name>MURANOdesign</name></author><published>2026-08-09T04:39:36+00:00</published><updated>2026-08-11T07:35:29+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p class="">物理的にも、心理的にも、明らかに人間に必要な自然的条件を、極限のところまで圧縮したような特殊な建築空間は、それなりの影響と物心両面におこさせるだろうし、またその影響力こそ、そのような限界空間を生んだ原因であったと思う。宗及や宗湛を相手に、珍品や平站の話をしている限りは、秀吉にとって二畳や一畳半は、さほど狭い空間ではないかもしれない。そこで、今度は、秀吉と宗易とが、この狭い空間のなかで対座したと仮想して、その結果はどうなるだろうかと思ってみた。そのとき、この圧縮された限界空間が、人間の条件に与えたものは何であろうかと想像してみた。</p><p class=""><br></p><p class="">佳水園にしても私はあまり和風を意識しないでやっているのです。あの格子にしてもスイにしても、日本的というよりもむしろ洋風だと私は思っています。あの場合は庇を薄く見せたかったため、　スイの感覚もずっと広くしているのです。昔からのものとは全く違うはずです。その場所、その環境、その機能に応じて表現を異にするだけであって、手法そのもの、ものの考え方はやはり同じではないのですか。</p><p><br></p><p>私は日本建築について特別学んだことはない、学校で教わった程度である。全て見よう見まねで覚えたようなもので、関西に住みついて、本物の日本建築を見る機会に恵まれたこと、優れた茶方の宗匠や棟梁たちの仕事を見たことも幸いであったが、私にいくらか日本建築について、もし私流という言葉を許していただけるなら、自己流の道を模索する糸口のようなものを与えてくれたのは泉岡さんではなかったかと思う。次に泉岡語録の二、三を紹介しよう。</p><p><br></p><p>一、玄関を大きくするな。門戸を張るな。</p><p>一、外からは小さく低く、内に這入る程広く、高くすること。</p><p>一、天井の高さは七尺五寸を限度と思え、それ以上は料理か、功成り名とげた人の表現になるので普通ではない。</p><p>一、柱の太さは三寸角、それ以上になると面取りで加減したり、ごひら（長方形）する</p><p>一、窓の高さは二尺四寸、風炉先屏風の高さが標準</p><p>一、縁側の柱は一間まに建て、桁に無理させぬこと、これで充分日本風になるはずである。</p><p>一、人の目につかぬところ、人に気付かれぬところ程仕事を大切にして金をかけること。</p><p>一、腕の良さを見せようとするな、技を殺せ。</p><p><br></p><p>まだあるが、ざっとこの程度である。伝統的で関西風な薄味のする考え方であるが、控えめなところがあり、何でも表そう、訴えようとするのとは味が違う。</p><p><br></p><p>蓋し、日本建築の真髄にふれた言葉ではないかと思う。泉岡流の手法は真似られても、作の品格に至っては生活の良さと趣味の高い人だけが持っているもので如何とも致しがたい。 </p><p><br></p>
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