<rss version="2.0" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"><channel><title>村野藤吾の語沙録 | 村野藤吾 公式サイト | MURANOdesign ムラノデザイン</title><link>https://www.muranodesign.jp/posts/categories/13785788</link><description>村野藤吾の語沙録の一覧</description><atom:link href="https://www.muranodesign.jp/rss.xml?categoryId=13785788" rel="self" type="application/rss+xml"></atom:link><atom:link href="http://pubsubhubbub.appspot.com/" rel="hub"></atom:link><item><title>村野藤吾 語沙録 「経済」</title><link>https://www.muranodesign.jp/posts/59110294</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/08971a0a20f9df12d2b6eb85da2cca91_eb0f088567b849176cb98417b7949d57.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;建物は資本的に言えば、コマーシャルライフとストラクチャーライフのコンビネーションです。これが上手くいかないと建物は失敗する。&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;表面にはすぐ効果を表そうというのは、すぐ消える美しさではないでしょうか。商業建築にはそれも必要でしょう。３０年で償却するのか、記念建造物のように永久にそれを残そうというものなのか、それで違ってくる。&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;ものを生産する過程が消費の過程に移ってゆくでしょう。生産というのは直線ですからね。曲線もあるけど機械的な曲線だ。だから生産的になるわけだ。そうしてできたものは、その通りに消費しないと金がかかってしまう。大部分はそれでいいにしても、それ以上になにがあるか、やはり学校で教えないといけないのではないかな。あるいは自分で気付くかだ。 &lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Tue, 11 Aug 2026 07:23:06 +0000</pubDate><guid>https://www.muranodesign.jp/posts/59110294</guid><dc:creator>MURANOdesign</dc:creator><category>村野藤吾の語沙録</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/08971a0a20f9df12d2b6eb85da2cca91_eb0f088567b849176cb98417b7949d57.jpg"></enclosure></item><item><title>村野藤吾 語沙録 「クライアント」</title><link>https://www.muranodesign.jp/posts/59110298</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/1720f4811fa02ec36e1fc47ee8219138_738108c761f00c56c177150425ab406c.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;たとえば家を建てるとき「お任せください」という領域ですね。その時は自分が愛情をこめてその建物を建てるわけでしょう。いよいよものができて、今度は向こうへ移しますね。私はいつも乳母のたとえをするんですよ。建築家というのは乳母みたいなものだ。クライアントから頼まれるけれども、それは本当の愛情がなければ本当の乳母になれない。そして育てていよいよ一人前になって親元へ返す。そうすると今度は親元が乳母と同じような気持ちで育ててくれなければ、乳母が考えた通りの建築も姿を出ないわけです。ですからいままでは手塩にかけて自分が自由にしたものを向こうにお渡しした後、「どうか見せてください」といって私は見に行くんです。玄関でマットが斜めになっていれば自分で直すというぐらい、見ていてはらはらしているわけです。&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;組織やビジネスの要求を９９％まで含んでも、村野に頼んだ以上、最後１％は村野の思想や個性が残る。その１％を依頼者が認めるかどうか、それが建築家と依頼者の信頼関係の基礎になるのですね。そして場合によって、その１％が支配的なものになる。だけど本当は逆なんですよ。だって９９％は建築家が知っていなければ、あと１％を支配するだけのものにはならんでしょう。単なる１％だけが残っているんじゃだめなんだ。 &lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Tue, 11 Aug 2026 07:22:54 +0000</pubDate><guid>https://www.muranodesign.jp/posts/59110298</guid><dc:creator>MURANOdesign</dc:creator><category>村野藤吾の語沙録</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/1720f4811fa02ec36e1fc47ee8219138_738108c761f00c56c177150425ab406c.jpg"></enclosure></item><item><title>村野藤吾 語沙録 「人生観」</title><link>https://www.muranodesign.jp/posts/59110562</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/f87de11c0ffd6ac55aad034600d5d5b2_5ac97a7af0ee791e7ba8820f58c59ced.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;社会というものは思想も文筆も含めて、どんどん消費して行くでしょう。全てはその時代とともに消費されてしまう。消費されないのは人間だけですね。これは変化しない。そうするとやはり作家は自分の心を刻み、それからやはり悲しみと喜びを経験しながら、心の深み、あるいは広さといいますか、そういうようなものができてきて自然に自分に感じるものができてくるのではないかと私は思っています。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;つまりね、こだわらないで、絶えずサムシング・ニューでやって行く。社会的条件は非常に変わって行くでしょう。それに対応してやって行くには、ひとつのことだけをいったり、理屈だけいったってダメですよ。絶えずサムシング・ニュー、これをやらないと。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;人間と社会と建物の関係と言うようなものをどう考えるか、どういう手法を使うかということに建築家の責任、あるいは人生観といいますか、建築をみる見方、考え方というものが表れるのじゃないかと思っているのです。だから、現代建築がどうのこうのというようなことは後回しにして、ただ広い意味での人間と建築との関係をどう考えたらいいか、それから現実的問題として、投資されたものに対してどのような解決策をとるか、ということを考える。それにどういう材料を選ぶか、したがって手法というものがでてくる、こういうふうに考えます。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;社会的平均の問題は、これはカタログだけでやっていてもできるでしょう。しかしそれ以上のものが問題になってくると思います。本当の人間の問題、これは依頼者からの条件では分からないものです。条件以上の問題だと思います。これこそ作家が考えるべき問題ですね。もちろんそれ以前に、いわゆる社会的平均のものはマスターしなければなりませんが、それより以上のものは作家の信念に持つより仕方がないものです。どんな小さな住宅でも、それは言い得ることだと思います。我々は消費財としてだけで建築をつくっているのではないですからね。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;大きい気の張るような建物のスケッチは、たいてい病気中にできるんですよ。枕元にメモと鉛筆を置くわけですね。家内が取り上げるんですけど、かならず置かして、それが平生読まない本をそこに置いて…。実に気の張るようなときになると、かならず病気しますね。不思議ですね。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;若い人には若い社会、年寄りには年寄りの社会というものがありましょう。しかしいつでも大切な問題の探求と追求が必要ですね。それがやがて作品の深みとなってきますから、幾度かの喜びと悲しみとを通過すると、考え方の中心というものが次第に移ってくる。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Tue, 11 Aug 2026 07:20:41 +0000</pubDate><guid>https://www.muranodesign.jp/posts/59110562</guid><dc:creator>MURANOdesign</dc:creator><category>村野藤吾の語沙録</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/f87de11c0ffd6ac55aad034600d5d5b2_5ac97a7af0ee791e7ba8820f58c59ced.jpg"></enclosure></item><item><title>村野藤吾 語沙録 「様式」</title><link>https://www.muranodesign.jp/posts/59110290</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/f36fef649e057c80232a8084dc3c6aab_786112b3ad0f13ffccd344d32da373c4.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;私は学生時代はなかなか反抗的で、ことに佐藤（功一）先生なんかに反抗して、様式的な問題が出てもその様式的な問題は少しもやらないで、同時日本へも伝わってきた新しい思潮のドイツのゼセッションに非常に共鳴し、そればかりやっていて先生からにらまれていたのですが、学校を出まして渡辺（節）先生のところへきて実際に世に出てくると様式というものの当時の社会における重要さをつくづく知らされましたね。様式はアメリカ風な実用的なものでした。様式風なものでないと世の中には通らないからそれをやれということで、はじめは嫌々ながらやっていましたけれども、やってゆくうちに興味が出てきたのです。様式のなかに隠されていた陰影だとか線だとかそれからプロポーションだとか、そういうものの美しさに興味を持ちはじめたのです。様式だけから出発した人はいまほとんど枯れてしまいましたね。やはり学生時代に反抗し、その後様式を学び、また現代にかえってきたということが、私には非常にプラスになっていると思います。&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;私、様式というのはあまり興味がないんですよ。私はなんでも同じように思いますね。ただ、度々申しますが、なるほど私は渡辺（節）先生のところで様式建築を習いましたね。しかし、そこから得たものは、要するに自分を肥やしただけの話で、線とか影、テクニックとかいうものを身につけただけの話で、様式とか現実に見るかたちは、私は虚構だと思います。そして自分が身につけた影だとか線だとか、それからテクニックだとかが本当の私の現実である。これだけで、あとは私流に言えば様式はないと思いますね。様式というのはフィクションだと思います。そういうふうに私はとっているし、またそういうふうに受け止めております。 &lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Sun, 09 Aug 2026 04:41:53 +0000</pubDate><guid>https://www.muranodesign.jp/posts/59110290</guid><dc:creator>MURANOdesign</dc:creator><category>村野藤吾の語沙録</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/f36fef649e057c80232a8084dc3c6aab_786112b3ad0f13ffccd344d32da373c4.jpg"></enclosure></item><item><title>村野藤吾 語沙録 「教育」</title><link>https://www.muranodesign.jp/posts/59110288</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/c43a4e2ac8ece7686d9a00661672a796_ff2e0207410ff4b09eed3ea4f15e2abf.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;やはり先生ですよ。大学といったって先生ですよ。やはり先生の人格というものが、学生に移ってゆく。これを抜きにして、知識の切り売りだけが大学の教育では困る。自ら指導に立つ、それだけの心構えのない人が学校の先生になったとする。そうすると頭だけ売るわけですよ。知性優先の教育の仕方をするんじゃないか。それは何故かというと、割り切れるから、学生にも分かりやすいわけです。そういう先生がもてるわけだよ、学生には。結局それではいい学生が出るわけないですよ。&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;学生も大学を出てから、自ら泥をつかむという勇気がない。これではいい建築はできっこないですよ。頭のいい、学校の成績の良かった若い者が、自分でこうやって（スケッチなどしたがる）、あとは人にやらせてしまうんだから仕方がないと、（これが逆に出ると）どうなるか、私に見せないという傾向になって表れる（それで問題が後で起こる）。それは自分が泥をつかむという勇気がないからだと思う。（泥をつかむということ）それを今の学校は教えない。なぜなら先生が自ら（そういう方向に）指導に立たないから、頭だけ良くて、理屈は言えますよ。しかしそれでは良い学生は育ちません。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私は最近、マッキンレーで亡くなった植村直己さんに非常に感銘を受けました。植村さんは探検で、必ず生きて帰ると言っていたんですね。苦労し、すすんで泥をつかむけど、しかし必ず生きて帰るという冒険の精神ですね。これは建築にも通じます。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私の事務所でも、若い人は曲線の多いスケッチなど、これをものにしなさいと言うと、びっくりして敬遠する傾向にあります。それは何かというと、学校で自由に手を動かすという訓練はしないでしょう。知的訓練が主になっている。知的にものを追えば方向が分かり易いし、先生はそれで目的を達するわけですから、だから知的なものにだけ頼って、それから先に行く事は避けようとするのです。しかし最近、若い人も分かってきたらしく、そうした仕事をさせてくださいと言ってくるようになってね。すすんで泥をつかみ、しかも必ず生きて帰るというのは、いいものをつくるということにつながるのではないかな。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Sun, 09 Aug 2026 04:41:11 +0000</pubDate><guid>https://www.muranodesign.jp/posts/59110288</guid><dc:creator>MURANOdesign</dc:creator><category>村野藤吾の語沙録</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/c43a4e2ac8ece7686d9a00661672a796_ff2e0207410ff4b09eed3ea4f15e2abf.jpg"></enclosure></item><item><title>村野藤吾 語沙録 「手法」</title><link>https://www.muranodesign.jp/posts/59110284</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/6ce4a1f8335b18cb336e2aae98efcb85_225e860acc0e416a77ba5cb639e55176.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;私は角があるのが嫌いなんです。私はもうどれでも角を取ってるんです。それで丸くする癖がありますね。そうしないとどうも何か手触りが悪いような、それから心持ちがしっくりこないんです。それも日本的な手法ですね。柱でもみんな面を取る。面で大きさを加減するわけです。ウチでやる時は必ず面幅をいうんですよ。二分面とか一分面とか。大体分かりますからね。これはかどかどした感じがなくなって手触りがいいんです。&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;長年人と交わって、喧嘩しないことが大切だと思うんですよ。建築で喧嘩しないということは、角を丸くして、強いものと強いものがぶつからないようにすることです。柱にしても床に付くところは、見えがかり縁を切る。そうすると平和な感じがすると思うんです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Sun, 09 Aug 2026 04:40:18 +0000</pubDate><guid>https://www.muranodesign.jp/posts/59110284</guid><dc:creator>MURANOdesign</dc:creator><category>村野藤吾の語沙録</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/6ce4a1f8335b18cb336e2aae98efcb85_225e860acc0e416a77ba5cb639e55176.jpg"></enclosure></item><item><title>村野藤吾 語沙録 「和風」</title><link>https://www.muranodesign.jp/posts/59110283</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;img src=&#34;https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/9905984295ad02da8ebec31bd9a1e899_4548e063db5c27abb9bc3f935b1806f5.jpg?width=960&#34; width=&#34;100%&#34;&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#xA;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;物理的にも、心理的にも、明らかに人間に必要な自然的条件を、極限のところまで圧縮したような特殊な建築空間は、それなりの影響と物心両面におこさせるだろうし、またその影響力こそ、そのような限界空間を生んだ原因であったと思う。宗及や宗湛を相手に、珍品や平站の話をしている限りは、秀吉にとって二畳や一畳半は、さほど狭い空間ではないかもしれない。そこで、今度は、秀吉と宗易とが、この狭い空間のなかで対座したと仮想して、その結果はどうなるだろうかと思ってみた。そのとき、この圧縮された限界空間が、人間の条件に与えたものは何であろうかと想像してみた。&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p class=&#34;&#34;&gt;佳水園にしても私はあまり和風を意識しないでやっているのです。あの格子にしてもスイにしても、日本的というよりもむしろ洋風だと私は思っています。あの場合は庇を薄く見せたかったため、　スイの感覚もずっと広くしているのです。昔からのものとは全く違うはずです。その場所、その環境、その機能に応じて表現を異にするだけであって、手法そのもの、ものの考え方はやはり同じではないのですか。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私は日本建築について特別学んだことはない、学校で教わった程度である。全て見よう見まねで覚えたようなもので、関西に住みついて、本物の日本建築を見る機会に恵まれたこと、優れた茶方の宗匠や棟梁たちの仕事を見たことも幸いであったが、私にいくらか日本建築について、もし私流という言葉を許していただけるなら、自己流の道を模索する糸口のようなものを与えてくれたのは泉岡さんではなかったかと思う。次に泉岡語録の二、三を紹介しよう。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;一、玄関を大きくするな。門戸を張るな。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;一、外からは小さく低く、内に這入る程広く、高くすること。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;一、天井の高さは七尺五寸を限度と思え、それ以上は料理か、功成り名とげた人の表現になるので普通ではない。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;一、柱の太さは三寸角、それ以上になると面取りで加減したり、ごひら（長方形）する&lt;/p&gt;&lt;p&gt;一、窓の高さは二尺四寸、風炉先屏風の高さが標準&lt;/p&gt;&lt;p&gt;一、縁側の柱は一間まに建て、桁に無理させぬこと、これで充分日本風になるはずである。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;一、人の目につかぬところ、人に気付かれぬところ程仕事を大切にして金をかけること。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;一、腕の良さを見せようとするな、技を殺せ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;まだあるが、ざっとこの程度である。伝統的で関西風な薄味のする考え方であるが、控えめなところがあり、何でも表そう、訴えようとするのとは味が違う。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;蓋し、日本建築の真髄にふれた言葉ではないかと思う。泉岡流の手法は真似られても、作の品格に至っては生活の良さと趣味の高い人だけが持っているもので如何とも致しがたい。 &lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Sun, 09 Aug 2026 04:39:36 +0000</pubDate><guid>https://www.muranodesign.jp/posts/59110283</guid><dc:creator>MURANOdesign</dc:creator><category>村野藤吾の語沙録</category><enclosure length="0" type="image/jpeg" url="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/3297181/9905984295ad02da8ebec31bd9a1e899_4548e063db5c27abb9bc3f935b1806f5.jpg"></enclosure></item></channel></rss>